Bé-A Journal

生理はやっぱり恥ずかしくて隠したい?

月に一度やってくる生理。初潮を迎えてから約40年間も付き合っていく、いわば生活の一部といっても良い生理現象なのに、長年すり込まれた、“生理は隠すべき、恥ずかしいものというのが当たり前”という感覚はそう簡単には抜けないものです。

コンビニエンスストアやドラッグストアで生理用品を買うとき、レジの店員さんが男性だと少し躊躇してしまう…。男性の同僚と一緒に飲み物を買うとき、ついでに生理用品も手にしてレジに並ぶことには抵抗が…。そんな経験をしたことがある方も多いのでは。
レジでは、茶色い紙袋にサッと包まれたり、「食品と一緒にお入れしてよろしいですか?」と聞かれることもあり、世間的にも“生理は隠すべき”という対応をされていると感じることは多々あります。
近年、こういった社会を変えていこうと、茶色い紙袋を断る選択肢を一つの例とした運動が起こるなど、生理のタブーをなくしていこうという動きがあったことも記憶に新しく、変化が期待されるところでもあります。

一方で、20年、30年という年月を生理と共に歩んできた大人の女性たちは、生理用品を買うことを顔から火が出るほど恥ずかしいとまでは思わないとしても、こうした価値観が「自分で生理用品を買いに行けない」「生理用品を買ってほしいと親に頼めない」などといった思春期の子どもたちの心情を助長させているかもしれません。

生理のことを口にするとき、なんて呼んでる?

恥ずかしさ、後ろめたさ、そんな気持ちが拭えず、父親や兄弟、男性の友人、同僚、知人などの前で「生理」というワードを口にすることに抵抗がある人もまた少なくありません。
中高生のとき、男子生徒の前で「生理」と口にできず、「あの日」「女の子の日」なんて呼び方をしていた方もいるのでは。大人になってからも「アレ」「月のもの」などとぼかして、なんとなく「生理」を避けてしまうことも。
母親によって「生理用品はここに隠したからね」と準備された、家庭の中の“ヒミツの場所”でナプキンをやりとりしていた、なんて話も珍しくありません。
「生理と口にするのは恥ずかしいことです」と面と向かっては誰にも教わったことなんてないのに、いつの間にか、世間の風潮、家庭の慣習、そんな価値観によって、生理は恥ずかしくて隠したいものであるという意識が根付いていきます。
また、男性たちは、家族構成に女姉妹がいない場合は特に、生理を意識することなく成長することもあるでしょう。知識としてその存在は知っていたとしても、周りの女性たちがもしかしたら辛くても笑顔で普段通りに過ごしていたなんてことは、知る由もないのです。
災害時、2日間過ごせる備蓄をと防災グッズを準備していたとき、「生理ナプキンは2枚あれば足りるかな?」と言った男性がいたという話を聞いたことがあります。女性にとっては2日間をナプキン2枚でだなんてまさか!な発言ですが、そのくらい、ただただ“知らない”ということは往々にしてあり得るのです。

“ないもの”から、“あるもの”へ。

生理について、全てをあけすけに話そう!という必要はないですし、生理のメカニズムを一から十まで男性もしっかりと理解しなくては、なんていうことはないですが、無知による無理解は、女性を苦しめるだけでなく、男性の生きづらさにもつながるのではないでしょうか。

生理は一般的に毎月訪れること、約1週間もその状態が続くこと、使い捨て生理用品であれば数時間に一度は交換をしなければならないこと。人によっては家事や仕事もままならないほどの苦痛が生じることもあること。それらについて知らぬまま大人になった男性が、「生理の辛さに理解や配慮が足りない」と言われ、思いやりや想像力が足りないと評価されてしまうのもまた気の毒なことです。
無理解は、互いに溝を作り、人間関係のヒビへと発展していきます。それは、女性同士も同じこと。たまたま生理についての悩みが少ない人も、辛い人がいることへの理解があれば、おのずと思いやりの気持ちが湧いてくるものです。

「頭痛が辛い」と同じように「生理でお腹が痛い」と言えるくらい、生理が身近にあるものだと誰もが思えること。そして、人によって違いはあれど、生理がどんなものであるかが想像できること。それらの理解があってこそ、「大変だね、少し休む?」と声をかける思いやりが生まれるのです。
“生理を隠さなくていい”、“後ろめたく思わなくていい”。 そんな世の中になっていけば、人はもっと生きやすくなるのかもしれません。
まずは、私たち女性が生理のハードルを少しずつ下げていくことから。身近な人とのコミュニケーションの中で、生理を「ないもの」とせず、「すぐ側にあるもの」と扱うことから始めてみませんか。