Bé-A Journal

人権週間に考えたい「障害者の生理」

想像されない、足りない視点

12月4日から10日は「人権週間」。人権週間は、12月10日の人権デーを最終日とする1週間で、「誰一人取り残さない」社会を実現するために、全国的に人権啓発活動を展開し、人権尊重思想の普及高揚を呼びかけるものです。
 
性別、年齢、地域、人種、病気などにおいて現在も人権をめぐるさまざまな問題が生じています。そのなかで、この機会に考えてほしい大切なテーマのひとつが「障害者の生理」。
 
「ノーマライゼーション」という言葉をご存知ですか?
ノーマライゼーションとは、障害者も健常者も、同様に変わりない生活を当たり前にできる社会が通常の社会であるという考え方であり、そのために社会の環境整備をおこなっていくことを意味します。
 
ノーマライゼーションで大切なことは、障害の特徴や特性の多様性を理解しながら、障害者が暮らしやすい環境をつくり上げるためにはどうするべきかを考えること。そのためには、どのようなシチュエーションでどんな不便さを感じるのかなど、障害者の視点に立つことが大切です。
 
生理についての議論がまだまだ発展途上にある日本。いまだタブー視されがちな生理については、男女の相互理解を求められていますが、「女性」の中に「障害者の女性」が抜け落ちてしまっている現状もあります。相互理解とは、決して性別間だけを指すのではなく、個人個人を理解し合うもの。
 
生理があることで、女性が生きづらさを感じるシーンはいくつもあります。しかし、社会が語るそのシーンの中に、障害者の生理が含められていることはどれだけあるでしょうか。そう考えたときに、はじめて視点が行き届いていないことに気づかされるのです。
 
まだ想像されていないこと。目を向けられていないこと。
障害者の生理について語られる機会がないことで、他者に理解されず、孤独や悩みを抱えながら生理に向き合う人は多くいます。
 
今まで知る機会がなかった事実に思わずハッとすることがあるかもしれません。ですが、知らなかったことに気づいたならそこがスタート地点。
ノーマライゼーションの実現に向けて、まずは、知ることから始めませんか?

障害のある女性が抱える、生理の不自由と悩み

例えば車椅子で生活している女性のお話です。外出先では、スペースが広い多機能トイレでないと入ることができません。多機能トイレが見つけられない場合、長時間ナプキンを替えられず、経血が漏れてしまったり、お尻がかぶれてしまうことがあります。ナプキンを替えたくても、替えられない。たとえ漏れてしまっても、誰にも気づかれない、理解してもらえない。このことに孤独を感じるといいます。
 
全介助が必要な女性に伺うと、ヘルパーさんに介助をしてもらう際、生理ケアについてどう思われているか、常に不安と申し訳なさがあるといいます。血がポタポタと垂れてしまったり、ヘルパーさんの服につけてしまったり。申し訳ない気持ちとその状況に自身が傷つき、“自分が生理になることはよくないこと”と、否定的な気持ちになってしまうことも。
 
また、知的障害を持つ方の中には、生理という認識を持てず、介助する方がナプキンの取り替えに苦労することがあります。ナプキンを嫌がり、ショーツも脱いでしまうことも。ベッドや壁にビニールを張って対策をするなど、介助する側の大変さもあります。
 
他には、男性に生理介助をされ、尊厳を傷つけられてしまう女性もいます。中には「子宮をとったほうがいい」など心ない言葉を投げつけられ、女性であることを否定される恐怖を抱えている人もいるのです。
 
「自分が女性であることは考えないほうがいいと思った。」
こんな悲しみがあるでしょうか。
 
生理による不便や不安に加え、障害によりさらにケアが必要な大変さ、精神的なストレスや圧力による生きづらさを抱えている事実がここにあるのです。

足りない視点に、想像力を

これだけ情報が溢れる世の中で、障害者の生理についてのHOWTOは、ネットを検索してみても見つけることは困難です。
視覚障害を抱える人の生理の悩みは?発達障害を抱える人の生理の不自由は?検索しても情報がなく、話す機会もないから、当事者同士でさえ、お互いにどうしているのか、どんなアイテムが役立つのか、わからないといった悩みがあります。
 
その中で、今注目されているのが「吸水ショーツ」。穿くだけなので、ナプキンを取り替える手間もなく、負担が緩和されます。長時間トイレに行けないとき、生理介助されることに気後れを感じるとき、また、生理を認識できずナプキンをつけることが難しいときのサポートにもなっています。
生理のとき、身体障害、発達障害、精神障害、それぞれの対応のハードルを下げるアイテムとしてこのような選択肢もあることが、困難を抱える人の耳にもっと届くように、社会全体で情報を発信していくことで救われる人も多いはず。
 
障害者側だけが発信するのではなく、社会全体で理解を深め、選択肢を提供する必要があります。
 
確かに、他者を100%理解することは難しいこと。しかし、私たちには「想像力」があります。「想像力」は、人の気持ちを推測する力でもあります。いろんな可能性に思いをはせて、どんな人がいて、どんな介助が必要なのか。もっと視野を広く想像し、もっとオープンに語り合える世の中を作りませんか?生理について閉鎖的な考えが続けば、障害者の生理についての理解は広がりません。
 
理解することを諦めないでほしい。理解されないことを諦めないでほしい。
私たちは等しく「心」を持ち合わせているのだから。
 
正しい生理の知識と、理解が広がり、誰にとっても生きやすい社会になるよう、この人権週間が意識を変えるきっかけとなりますように。